唐辛子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 
唐辛子
唐辛子

唐辛子(とうがらし、唐芥子、蕃椒)は、ナス科トウガラシ属 (Capsicum) の栽培種の果実から得られる辛味のある香辛料。野生種を含むこともある。

広義にはピーマンシシトウパプリカなど辛味がないかほとんどない品種(甘唐辛子)も含むが、ここでは辛味のある品種について述べる。

目次

[非表示]

 分類学的位置づけ

詳細はトウガラシ属を参照。

トウガラシ属には数十種が属するが、そのうち栽培種は次の5種である。

日本で栽培されているのは主にトウガラシだが、沖縄ではキダチトウガラシの品種の島唐辛子が栽培されている。

トウガラシ属が自生している南米では、ウルピカなどの野生種も香辛料として使われる。

 名称

「唐辛子」は「」から伝わった「辛子」の意味である。ただし、「唐」はばくぜんと「外国」を指す言葉である(実際の伝来経路については伝来史で)。同様に南蛮辛子(なんばんがらし)や、それを略した南蛮という呼び方もある。

九州の一部では唐辛子を「胡椒」と呼ぶことがある(「柚子胡椒」の「胡椒」も唐辛子のことである)。これは南蛮胡椒、または後述する高麗胡椒の略と思われる。「普通の胡椒」は九州の一部では「洋胡椒」と呼ぶことがある。高麗胡椒の琉球語読みがコーレーグースであるが、これは今日では島唐辛子を用いた調味料を指す。

唐辛子の総称として鷹の爪を使う者もいるが、これは誤用である。正確には「鷹の爪」は唐辛子(トウガラシ)の1品種である。

 用途

胡椒などの他の香辛料と同様、料理に辛みをつけるために使われる。また、健胃薬、凍瘡・凍傷の治療、育毛など薬としても利用される。

緑から赤へと熟していく唐辛子の果実
緑から赤へと熟していく唐辛子の果実

果実は緑のままでも食べることが出来る。一般に、緑色のものは青唐辛子、熟した赤いものは赤唐辛子と呼ばれる。

ビタミンAビタミンCが豊富なことから、夏バテの防止に効果が高く、また殺菌作用があり食中毒を防ぐとも言われるので、特に暑い地域で多く使われている。殺菌のほかに除虫の効果もあり、園芸では他の作物と共に植えて虫害を減らす目的で栽培されたり、食物の保存に利用される事もある。果実を鑑賞するためのトウガラシの品種もある。

生のまま食べる場合と、乾燥した後に使う場合とがある。チポトレのように燻煙してから使う場合もある。生の緑色の唐辛子の方が身体には良いという意見もある[要出典]。一般的に日本国内で入手できる青唐辛子は生のものを加熱することで辛味が甘味に変化し、乾燥した唐辛子では加熱すると辛味が増す傾向にある。

唐辛子の辛味成分はカプサイシンである。この辛さは刺激が強く人により好みがある。唐辛子によって辛みをつけた料理を好む人は多く、また食べたあと胃腸に問題を起こすことも少ない。ただし日本で料理に唐辛子が多く使われるようになったのは比較的最近のことである。1980年代以降、韓国料理やエスニック料理が浸透し、「激辛ブーム」などが起こる以前は、せいぜい薬味や香り付けに一味唐辛子や日本特有の七味唐辛子が少量使われる程度であったし、市販のカレーでさえ現在ほど辛口の商品が多くはなかった。今も年配の層には唐辛子の辛味を苦手とする人は多い。

インドタイ韓国などの唐辛子が日常的に使われる国・地方では、小さい子供の頃から徐々に辛い味に慣らして行き、胃腸を刺激に対して強くしている。一方で日常的に使う習慣のない場合は、味覚としての辛味というよりも「痛み」として認識され、敬遠される。実際、唐辛子の辛味は口内の「痛覚」であることは科学的にも実証されている[要出典]。このことからも、痛みを味覚として好むということ自体、多分に社会文化的条件付けによるものと言える。尚、これらの国が唐辛子を積極的に摂取するのは、メキシコやタイ、四川省など暑い地域では発汗を促すため、韓国など冬に寒冷な地域(韓国も大陸性の気候の影響が強く夏は暑い)では退化しがちな汗腺を開くためで、いずれも発汗による体温調節が目的であるとされる。

フィリピンでは、葉を葉菜として利用する。

伝来史

現在世界中の国で多く使われているが、アメリカ大陸以外においては歴史的に新しい物である。クリストファー・コロンブス1493年スペインへ最初の唐辛子を持ち帰った。唐辛子の伝播は各地の食文化に大きな影響を与えた。

ヨーロッパでは、純輸入品の胡椒に代わる自給可能な香辛料として南欧を中心に広まった。16世紀にはインドにも伝来し、様々な料理に香辛料として用いられるようになった。バルカン半島周辺やハンガリーには、オスマン帝国を経由して16世紀に伝播した。

 日本への伝来に関する諸説

鑑賞用のトウガラシ
鑑賞用のトウガラシ

日本への伝来は、1542年にポルトガル人宣教師が大友義鎮に献上したとの記録がある[要出典]が諸説ある。南蛮胡椒と呼ばれていたのはこのためであるとされる。日本では最初、食用とはならず、観賞用や毒薬として用いられた。

一方、朝鮮から日本へ伝来したとする説もある。九州地方と朝鮮の間での貿易により伝わったとする説では、その後、朝鮮出兵で連れ帰った陶工が唐人と呼ばれ(福岡市には「唐人町」と言う街名がある)、彼らが栽培していたので「唐辛子」と呼ばれるようになったと言うものである。高麗胡椒と呼ばれていたのはこのためであるとされる。

現在では、伝来した時期や経路は、複数あったものと考えられている。

 朝鮮への伝来に関する諸説

日本から朝鮮へ伝来したとする説が有力である。一説には朝鮮出兵のとき武器(目潰しや毒薬)または血流増進作用による凍傷予防薬として日本からの兵(加藤清正?)が持ち込んだと言われている。また、江戸時代になって朝鮮通信使が日本から持ち帰ったという説もある。

大和本草」(貝原益軒著)には蕃椒の記事に「昔は日本に無く、秀吉公の朝鮮伐の時、彼の国より種子を取り来る故に俗に高麗胡椒と云う」と書かれている。これは一見相反するが、日本に伝わった当初、国内にあまり広まらなかったまま、唐辛子が朝鮮にも伝来したためである、という説がある。なお、同時代に朝鮮では倭辛子と呼ばれていたが、これは日本から伝わったためであると考えられている。現在も日本から伝わったことが韓国では定説になっている。